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2018年2月10日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
過去の企画展
これまで開催した企画展の紹介

■飯島志津夫 没後10年「富士と語る」

2017.10.18~2018..1.29
観覧料:常設展に含まれる

※もみじ祭り期間中の10/28.11/7は開館します。

■山小屋にみる富士山信仰

2017.6/21-9/24
富士山吉田口登山道には、古くから多くの山小屋が営まれてきました。この展示では、山小屋に伝わる資料を展示し、富士山信仰の歴史と登山の文化を紹介しました。

■「富士登山の風景」-明治・大正・昭和の吉田口登山道-

2017.2/22-6/5
御師や山小屋が伝える写真には、富士講の人々が白装束を着て、山小屋で休憩しながら山頂を目指す姿や、御師が富士講を歓迎するようすが写っています。この展示では、貴重な古写真を展示し、江戸時代から今に続く登山文化を紹介しました。

■「縄文人が目撃した富士山噴火」-約五千~四千五百年前の火山災害と復興への歩み-

2016.10/19-2017.1/30
縄文時代は、富士山が激しく噴火をしていた時代です。近年、富士山噴火により埋没した遺跡が相次いで発見され、火山災害の実態が明らかになりつつあります。この展示では、縄文人たちが富士山噴火により、どのような被害を受け、いかにして復興していったかを考古資料をとおして紹介しました。

■「富士山御師のたからもの」

2016.6/22-9/26
富士講をはじめとして富士山の登山者を受け入れてきた御師。その御師家に伝わる貴重な資料を展示し、富士山信仰における御師を紹介しました。

■「富士参道」-飯島志津夫写真展-

2016.2/23-6/5
35年にわたって富士山を撮影し続けた富士山写真家 飯島志津夫氏。飯島氏は美しい富士の風景だけでなく歴史や風土といった貴重な写真も数多く撮影されています。富士道や吉田口登山道を記録した著書「富士山・その風土と参道」では当時忘れさられつつあった古道の重要性を世に広めました。この展示は、東京から富士山頂までの足跡をたどることができる写真を紹介しました。

■「富士山と猿」

2016.1/2-2/7
富士山は申年に誕生したという伝説から、猿(申)は富士山の神と仏の使いとして信仰されてきました。この展示では、富士山信仰にかかわるさまざまな猿を展示し、猿と富士山の切っても切れない深い関係を紹介しました。

■「富士講のヒミツ」

2015.10/17-12/20
江戸時代、富士山を信仰し登山する団体「富士講」がたいへん流行しました。この展示では、富士講の代表的な資料や概要をわかりやすく解説し、世界遺産富士山を代表する信仰文化を紹介しました。

■開館記念「富士山絵画展」-富士吉田市収蔵美術品-

2015.4/4-7/2〔前期〕・7/4-9/27〔後期〕
富士吉田市が所蔵する富士山を題材とした名画30点を2回にわけて公開しました。

■富士山世界文化遺産

2013.7/1-9/23
世界遺産となった富士山の構成資産をわかりやすく紹介しました。

■吉田の火祭-重要無形文化財指定記念-

2012.6/30-9/17
重要無形文化財に指定された「吉田の火祭」について紹介しました。

■縄文王国山梨巡回展

2011.6/4-6/19
県内7館で構成される縄文王国山梨の参加館から特徴的な縄文土器を広く公開しました。

■御師 外川家-重要文化財指定記念-

2011.7/1-8/31
博物館付属施設として公開している御師 旧外川家住宅の重要文化財指定を記念して、外川家の御師としての歴史や貴重な資料を公開。

■かいき展-羽織の裏地 着物の裏地-

2011.11/9-2012.2/26
博物館収蔵資料の甲斐絹を用いた着物や羽織などを展示し、甲斐絹について紹介しました。

■富士の女神のヒミツ

2010.8/7-10/28
富士山の祭神「木花開耶姫」について子どもから大人までわかりやすく紹介しました。

■月江寺展‐富士北麓禅の美術‐

2009.9
室町時代に開かれた月江寺は、江戸時代には富士北麓で最大規模の寺院とも称された古刹です。開山580年を超える月江寺には数多くの絵画、彫刻作品があります。禅の美術の美しさと特色、寺と富士信仰の関わりを紹介しました。

■身禄の聖物

2008.11
食行身禄の遺品目録に掲載されている資料を中心に紹介してました。

■富士の神仏-吉田口登山道の彫像-

2008.6
神仏分離以前、富士山内に納められていた仏像を中心にとりあげました。

■おめでたいカタチ ‐富士の意匠‐

2008.6
さまざまなモノに意匠化された富士山を取り上げました。

■国絵図・郡絵図・村絵図-富士図との交流-

2004.6
江戸時代以降に書かれた絵図を集め、そこに描かれた当時の地域や村、背後にそびえる富士山を含めた景観を再確認し、それらを通して富士山に対する認識、山麓地域の変化や発展の歴史を明らかにしました。

■冨嶽寫眞‐写された幕末・明治の富士山‐

2003.12
富士山を一周する地域から写された古写真(彩色写真)を中心に集成しました。また、その当時の撮影場所や現在との景観の移り変わり等も紹介しました。

■太々神楽と獅子神楽

2001.8
常設展示の「日々の暮らしと祭り」をさらに詳しく紹介するために、夏季企画展『太々神楽と獅子神楽』を開催しました。

■富士山登山案内図

2000.7
富士山信仰の初源は、遥拝のかたちからはじまり、その後、御師や修験の活躍によって登拝の山へと変化しました。近世にいたっては広く庶民に受入れられ富士講の隆盛をみました。この図録では、北口(吉田口)だけでなく、表、南、東口の資料を集成し、信仰の御山としての富士山がどのように認識されていたかをまとめてました。

■絵葉書に見る富士登山

1999.8
江戸時代までの信仰登山一色から脱却した明治以降の登山の様子について、その時代を写し込んだ絵葉書を用い、同時代の登山案内記等によって解説しています。江戸時代の信仰登山と現在の観光登山との狭間に位置する明治末期~昭和初期に至る時期の様子が詳しくわかります。

■富士山明細図

1997.7
江戸時代末期に描かれた肉筆の絵画帳『富士山明細図』は、当時の山内の施設や登拝者の様子が詳細に描かれており、実態をとらえにくい富士信仰史の解明のためになくてはならない大変重要な史料といえます。

■富士山の絵札‐牛玉と御影を中心に‐

1996.6
絵札とは木版で紙に摺られた神仏や信仰対象の像を描いた札のことで、一般に牛玉や御影などとも呼ばれ、江戸時代には御師等らによって大量に頒布されました。絵札は富士山の信仰を凝縮したものであり、そこには多くのことが語られています。

掲載内容に関するお問い合わせはこちら
ふじさんミュージアム
住所:403-0032 山梨県富士吉田市上吉田東七丁目27番1号
TEL:0555-24-2411
FAX:0555-24-4665